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「美濃加茂やきそば」は、


「街を元気にしよう」と集まった13人の仲間によって
提案された、


美濃加茂市の全く新しいご当地グルメです。









美濃加茂市の玄関口、美濃太田駅前は昭和30~40年代に多くの人たちで賑わっていました。


そこには1軒の人気食堂があり地元の人たちだけでなく、学生や観光客で客足が途絶えることがありませんでした。
そんな人気店でしたが時代の変化とともについに、昭和29年から44年間続いた暖簾を降ろす日がやってきました。


あれから二十余年、自動車中心生活への移行と郊外地域の発達とともに、美濃加茂市の商業の中心は、駅前と呼ばれた美濃太田南地域から北地域へと移り変わり、かつての駅前商店街は、今ではシャッターが目立つようになり、徐々に元気が無くなってきています。



ある日、一人の商店主が、焼きそばを求めて並ぶお客さんを見ながら「昔、駅前に「福寿堂」があったよね。
美味しかった。もう一度食べてみたいね」とつぶやきました。


すると、隣にいた別の商店主が「私も大好きで、学生の頃によく食べたなあ。懐かしいね」と広がり「私も食べた」「今では中々見られない焼きそばでちょっと変わっていたね」と昔話に大いに花が咲きました。


そんな些細な会話の中から誰彼ともなく「自分たちで作ってみようか」「あの頃の賑わいを取り戻そう」と盛り上がり13人の仲間が集まりました。









集まった13人のメンバーは、多種多様で電気屋、旅館経営者、主婦、市議会議員や公務員などで焼きそばとは全く無縁の者ばかり。かつての記憶を頼りに平成23年8月11日に「美濃加茂やきそば復刻会」を立ち上げて、「福寿堂の焼きそば」の再現に取り組みました。
しかしながらそれぞれが曖昧な記憶なので味が決まる訳ありません。その活動は早くも暗礁に乗り上げてしまいました。
何としても食べたいという欲求は思いのほか強く、ご当家の高橋かづ子(86)さんに教えを請うことになりました。
高橋さんを復刻会の顧問に迎え、作り方やコツ、使用材料などを伝授してもらいました。
そうした中で「福寿堂の焼きそば」の最もこだわりの部分が、特注の麺であったことを知り、製麺所の廃業とともに店を閉じた事実を聞いたのです。
これは、特注の麺をなくしては「福寿堂の焼きそば」を語ることができないということです。ここで再び復刻会の活動は暗礁に乗り上げることになってしまいました。



会員が途方に暮れかかっているとき、正に天の声の如く、顧問に就任していただいた高橋さんから


「福寿堂の焼きそばは私の代で終わりました。あなたたちは自分たち独自の物を作り上げて、地域を盛り上げて欲しいと思います」


と温かい助言をもらいました。


この時から復刻会の活動は、「福寿堂の焼きそば」のコピーから「独自の焼きそば」へとシフトし、その活動を本格的に再スタートさせた。


それからは週1回のペースで会議や試食を重ねて、当時のレシピや使用材料を基本としながらも、その特長を定義付け、新たな発展をさせるべく「美濃加茂やきそば」と名付けたのでした。

美濃加茂やきそば復刻会の活動は、昔のやきそばを復刻することではなく
かつての街の賑わいを「復刻」すること。街を元気にするための活動です。